最高裁判所第一小法廷 昭和32年(オ)254号 判決 1960年6月09日
主文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人高橋巳之助、同高橋竜彦の上告理由について。
原審は、河野通俊の本件売買行為がその代理権の範囲外であつたとしても、上告人としては、右河野が本件売買につき代理権を有するものと信じるにつき正当の理由があつたのであるから、被上告人は民法一一〇条により右河野の結んだ売買契約について、その責を負うべきであるとの上告人の予備的主張については、次のような理由でこれを斥けたのである。即ち、原審は先ず、原判決認定の事実関係の下においては、上告人が河野通俊に被上告人を代理する権限があると信じたということも無理からぬところであるが、そのような場合に、代理権ありと信ずべき正当の理由があるものとして本人についてその責任を問うことができるのは、代理人と称した者が何らかの代理権を有するか、また有した場合に、その権限を超えた行為をした場合でなければならないわけである旨を明らかにし、更らに被上告人の出版局の事業内容とその機構につき、第一審および原審証人中島清秋、鈴木昇六、原審証人成谷威夫の各証言を綜合し、「……その機構をみると、上部に総務と経理監があり、総務の下に総務課と業務課があるが、総務課では専ら庶務的な事務即ち文書の整理、出勤簿の取扱、各学部との連絡などを扱い、金銭の出納、印刷物の注文は勿論印刷局の業務として外部と契約することその他の法律行為とみられるような事務は全然担当していない。また河野通俊はその総務課長心得であつて、同人には控訴人を代理して法律行為をする権限は全然なかつたことが認められる」と判示した上、結局「出版局の機構からも、また具体的な事項についても河野通俊は控訴人を代理する権限は全くなかつたのであるから、たとえ被控訴人が河野通俊は控訴人を代理する権限を有していたと信じ、また、信ずるについて無理からぬ点があつたとしても民法第百十条によつて控訴人の責任を問うことはできないものといわなければならない」と判示しているのである。
しかしながら、民法一一〇条適用の前提たる代理権については、事業内容とその機構につき、単に制度上のたてまえからのみ、その有無を判断すべきものではなく、その事業の実際の運営状況の実体に即して判断すべきものといわなければならない。然るに原判決は出版局の機構からも、また具体的事項についても河野通俊に被上告人を代理する権限は全くなかつたと判示するに止まり、実際上用紙買入以外の事項について被上告人を代理するがごときことも全くなかつたかどうか等運営の実際に即して十分な審理を尽した形跡が認められない。(第一審における証人河野通俊は書籍買入の権限は右河野にあつたと証言しており、また原判決が挙示する証人中島清秋、鈴木昇六、成谷威夫は、出版局の総務課および業務課はいずれも課長一人、課員一人で、一の事務室において執務していた旨証言しているので、実際上果たして事務分担が確然と分離されていたかどうか大いに疑わしいのみならず、他の証人の証言中には、本件取引が右事務室において行われながら、他の人々がこれを怪しまなかつたことを窺わせるような陳述もあるのであつて、これらの証拠関係からすれば運営状況の実体においては、河野通俊に何らか被上告人を代理することがあり、被上告人もこれを黙認していたごとく窺われないではない。)原審の認定は、この点について、審理不尽、理由不備の違法ありといわなければならない。
また、原審は、河野通俊は被上告人に雇われていた者で、その不法行為は被上告人の業務執行に当つてなされたものであるから、被上告人はその使用者として上告人の受けた損害を賠償する義務があるとの上告人の予備的請求について、「既に説明したように、控訴人の出版局の総務課は単純な庶務的事務のみを扱うのであつて、外部と契約を結ぶような事務は全く担当するものではなく、しかも、出版局は外部から紙を買い入れることもないのであるから、外部の商人から紙を多量に買い入れることは控訴人出版局の業務ではない。従つて、たとえ、河野通俊が出版局総務課長心得であり、本件取引が出版局事務室内で行われたものであつても、河野通俊の右所為は同人が控訴人の業務を執行するについてなしたものということはできないから、本件取引により被控訴人が被つた損害は、河野通俊が控訴人の業務を執行するについて被つた損害ということはできない」と判示している。しかし業務執行の範囲内のものであるかどうかも、また運営の実際に即して判断すべきであるに拘らず原審の右事実認定も、前記同様に機構の制度上のたてまえに基づく認定に終始し、運営状況の実体についての審理について未だ尽さざるものがあり、審理不尽、理由不備の違法あるを免れない。
されば、所論は、結局理由あるに帰する。よつてその余の論旨に対する判断を省略し、原判決はこれを破棄すべきものとし、民訴四〇七条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 入江俊郎 裁判官 斉藤悠輔 裁判官 高木常七)